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今回はブラームスの中でも癒しの部類に入るであろうと思われます、「ドイツ・レクイエム」です。 これもたまにしか聴かないのですが、聴くたびに、癒されると同時に感動してます。 この曲、形式的には通常のレクイエムとはかけ離れたつくりをしています。 なんといっても詩がすでに普通から外れてます。ラテン語のレクイエムじゃない!ルターのドイツ語聖書からブラームスのセンスで選んで持ってきています。 しかも、典礼用ではなく、はなから演奏会用に作ってます。 もう出発点が違うのですから、あとはもう普通と違ってしまうのは当たり前。ブラームスの独自の考え方・世界観で彩られてます。 これが実際に詩をみながら聴いてみると、死者を「弔う側」としてみた場合、なかなか的を射ている内容になっていると思います。 そういえば、三善晃がレクイエムに関して言っていた話で、レクイエムの響きは地上の響きであって、死者の声を聴いたとかいうのは死者に対して冒涜かも、とかいう文章を読んだことがあります。(何か、音友のムック本だったような) 死者へは生きている人間の声は届かないということを悟らざるを得ないといった諦念のような内容だったと思います。 その意味を転じると、レクイエムは、死者の魂を慰めるという形をとって「死者を送る側」を慰めるもの、というのが実際の意義なのでしょう。 そう考えると、このドイツ・レクイエムの内容はその意義には合ってるかもしれません。 悲嘆にくれたり、激しい怒りをあらわにするようなものは入っておらず、後に残されたものを慰めてくれる詩になっています。 (本当に悲しみが慰められるかどうか、という実際の感情的な話は別ですが) 少なくとも、本当の悲しみの場ではなく、うぐいすがこの曲を音楽として普通に聴くような状況においては、なかなか感動的で癒されます。 1楽章の「悲しむ人々は、幸いである。彼らは慰められるからである。」という詩からして、残された自分は一人ではない、まだ支えてくれる人がいるのだ、という大きな心の支えを感じさせてくれます。おまけに曲が穏やかで美しく、非常に感動的です。 また、7楽章は下記の詩。 今から後、主にあって死ぬ人は幸いである。 そうだ、精霊も言っている。彼らは労苦を解かれて、 安らぎを得る。その行いが報われるからである。 ここにいたっては「ぶわっ」と涙が溢れてきてしまいますね。曲なしで詩を読むだけで泣けてきます(笑)。 自分の大切な人が暗い死の闇に飲まれていったのではなく、主の下に召されて人生の労苦から離れて安らぎを得たのだと。あなたもいつまでも悲しんでいてはいけない、がんばりなさいよ、とまたここで慰めの言葉をかけられるわけです。 しかも曲を聴いてるとこれがまた、音楽が美しい(こればっか)。 曲だけ聴いてると単に綺麗で癒されるというくらいですが、詩の意味を思い浮かべながら聴くとなかなか感動的です。 曲が大曲なので聴く機会はあまり多くないですが、お気に入りのひとつですね。 持っている演奏は、なんとカラヤンばかり3種類・・・ 各1964年・1976年・1983年録音のものです。最近のお気に入りは1976年ですね。ちょっと前までは1964年のものが好きでしたが、1976年のゴージャスで派手な曲のつくりも最近好きになってきました。レクイエムというには、ちょっと色気があって派手かもしれませんが、逆にわかりやすくて最後まで聴きとおしやすいのです。 1983年のは、80年代のカラヤンの特色が出てますので、以前から言ってるとおりあまり好みではないです。 クレンペラーやフルトヴェングラーのものも定評があるようですので、聴いてみたいのですが、これらを買うよりも優先順位が高いものが出てきそうな気がします(笑)。普段聴くこと少ないし。 Brahms: Ein Deutsches Requiem
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はじめまして。 |
ピースうさぎ 2007/08/27 22:01 |
ピースうさぎさん、はじめまして!コメントありがとうございます。うぐいすもピースうさぎさんのブログをブログ村からよく拝見してます。 |
うぐいす 2007/08/28 00:04 |
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