Cla_PA!(クラシックパーキングエリア)

アクセスカウンタ

zoom RSS 本日はショスタコーヴィチの命日です:交響曲第10番<PA-168>

<<   作成日時 : 2008/08/09 21:14   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 6

本日はショスタコーヴィチの命日です。亡くなったのは今から33年前ですね。
その頃うぐいすはまだ純真無垢(爆)な小学生だったので、大人の音楽(笑)のショスタコーヴィチなぞ知る由もなかったです。
亡くなったのが意外と最近なんだなあ、と中学生になって思いましたよ。

さて、実は数日前からこの日に何を聴こうかな〜と思いあぐねてまして。
最近は彼の作品というと弦楽四重奏や室内楽ばかり聴いていたので、ちょっとここらで違う方面のを探してみようとは思ってたのですが。

そこで何気にブログの過去のエントリーを見てたのですが・・・
「あれっ?ないなあ」と。
彼の交響曲の中ではうぐいすは最も重要な作品という認識で、事あるごとに引き合いにだしてた曲が、まだエントリーされてなかったことに気がつきまして。

それが今回のエントリー、交響曲第10番です。
時々、ムラヴィンスキーのことをエントリーしたときなど、いろいろ話に織り交ぜたりしてたのでそのまま書いた気になっていたのかと(苦笑)。

さてこの曲、1953年の夏に着手されて3ヶ月くらいで完成し、12月に初演したようです。ショスタコーヴィチはとにかく作曲のスピードが早いので有名ですが、この作品も相変わらずの早筆ですね!
しかも内容の充実度が凄いこと。よく4楽章が軽すぎるとかも言われます(でもうぐいすは結構好きです)が、それでも音楽の密度の濃さはさすがですねえ。

ショスタコーヴィチは1948年ジダーノフ批判を受けて、しばらくは社会主義リアリズムに迎合した作品を一生懸命書いてたわけですが、1953年のスターリンの死をきっかけにこの10番を書き上げ、それまでに封印していた作品も徐々に発表し始めます。
いわゆるスターリン後の「雪解け」のはじまりですね。

ジダーノフ批判で言われた形式主義的な音楽っていうのは、結構ご都合主義で、ようするにスターリンや共産党中央委員会が気に入らなかったらなんでも、という具合だったんですよね〜。何せ、バッハやモーツァルトにまで形式主義のレッテル貼ったみたいですから(苦笑)。

もちろん理不尽な話ですが、これに逆らうと収容所送り・粛清ですから従わざるを得ませんね。後にこのジダーノフ批判で出された宣言が解除され、批判された音楽家の名誉回復がなされたのは1958年です。

この交響曲第10番も初演後にソ連国内で大論争が起こり、1954年に作曲家同盟で10番に対する討議会(いわゆる第10論争)まで開かれたみたいです。結局は作品を全面否定することはできず、「最終的にはすばらしい作品」という結論に落ち着いたみたいですが。
いやあ、ここまでいろいろ統制された世の中っていうのはホント、恐ろしいもんです。

ショスタコーヴィチは曲を書くたびにそんな綱渡りのような局面を乗り切る必要があったわけで、そんな体制に身を置く恐怖の程は、いかばかりであったことでしょうか・・・

交響曲第10番に関しては、ショスタコーヴィチはスターリンとその時代について書き記したとも言われています。正確に言えばスターリン時代に対するショスタコーヴィチの憤怒や情念とかなのでしょうか。
特に2楽章は「スターリンの音楽的肖像画」と言われてます。
(確か、ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」によるものでしたか)

まあ、確かに作品を発表するタイミングといいその内容といい、そのあたりを想定して書かれた作品には違いないでしょうが、あまりそういうところにこだわりすぎると、この曲そのものの美しさやダイナミズムを味わうことができなくなりますし、そこら辺の話はここまでにしておいて、純粋に音楽を聴いてみました。

1楽章の暗く蠢くような弦楽合奏による導入部、その後にクラリネットから弦楽器に受け渡される主題がうねるように盛り上がり、ひとつの頂点を築いていきます。ここら辺のつくりがまた見事ですねえ。非常に無理のない感じで静から動へ移り変わる様が自然に表現されてます。
その後に続く踊るような主題も、動きは最初の第1主題と対照的な旋律ではありますが、ほの暗い雰囲気は共通ですね。

展開部、凶暴なまでのオーケストラのダイナミズムはいつ聴いても手に汗握ります。結局1楽章で一番好きなのはこの展開部の爆発です。
いくつかの木管のソロの受け渡しや展開から徐々に盛り上がっていく様がいくつもの怒りの束が徐々に重なり奔流のように頂点を形成していくのが感動的なのです。
ひたすら身をゆだねて聴いています。

その後はまた静まってまた不気味な舞曲風の旋律、そして最後に第1主題の旋律に戻って、レクイエムのように繰り返されるフルートの旋律で余韻を残しながら曲を閉じます。
1楽章は最初に滔々と苦悩に満ちた道程を提示し、そこから頂点に向けて曲を盛り上げて中間部で爆発させ、それを徐々に静まらせて最後は後ろ髪をひくような終わり方で閉じる、という巨大な叙事詩を思わせるような曲です。
これだけでひとつの完成された曲とも見れますね。

2楽章は荒れ狂うアレグロ楽章です。ここは一気呵成に大迫力で推進していく演奏がいいですね。
これは非常に短い楽章ですが、なかなか聴き応えのある曲なので、繰り返し聴いてしまいます。
ひたすら凶暴な弦楽器、木管の引きつった叫び、とんでもない恐怖に煽られるような小太鼓のリズムなどの構成が快感です。

3楽章は不気味な雰囲気の中で時にこっそりと、時に大胆に奇妙なダンスをしているような音楽です。
この楽章に例の彼のイニシャル、「D-Es-C-H」のモノグラムが出てきます。
奇妙なソ連の独裁体制の中で翻弄されている自分の姿を、自虐的に滑稽に踊らされてるような趣きで表現されてるのでしょうか・・・
あと、「D-Es-C-H」ほどではないですが、ホルンで高らかに歌い上げられる「E-A-E-D-A」も何か(→女性がらみですが)のモノグラムじゃないかと言われてますね。

最後の4楽章は出だしは重々しいのですが、その後非常に軽快で忙しい動きの旋律で曲想は一変します。
元気いっぱいどころか、荒々しいともいえるほどの活況を示しますね。
頂点で決めの一発、また「D-Es-C-H」が出てきます。
正直ショスタコーヴィチがこの曲をどう結びたいのかよくわからんのですが(苦笑)、なかなか勢いのある曲想で盛り上がって終了します。
好きなんですけどね、このドンチャン騒ぎも。

そういえばこの交響曲第10番、楽章の構成的に実は交響曲第5番にすごく似てますね。
でも5番の方は特に後半の2つの楽章がいかにも芸術作品的な雰囲気でまとめてますが、こちらの10番の方はもっと自由にやってる感じですねえ。

さて、今回聴いた演奏ですが、まずはムラヴィンスキー/レニングラード('76)の演奏です。
この曲の凶暴なフォルムや虐げられた民衆の苦悩みたいな哀愁の漂う曲想を味わうにはこの演奏がいいですね。
木管の音色がやはり欧米の一流のオーケストラに比べるとヘボイ感じではあるのですが、だからこそ、その背筋の凍るような曲想にあってる感じもします。
2楽章は特に、身の毛もよだつような戦慄の走る演奏です。はっきり言って怖いですねえ。

ちなみに、カラヤン/ベルリン・フィル('81)のも取り出して聴いてみましたが、1,2楽章聴いてやめてしまいました。
やっぱりなんか違うんですよね、この演奏。うまいんですが。
非常に穏やかで、一応芸術的に演奏してみましたみたいな、小奇麗な感じでまとまっちゃってますね。
聴きやすいって言えば聴きやすいのかな。

さて、今回のエントリーは交響曲ですが、まだ時間はありますので他にも彼の弦楽四重奏などを聴いて偲ぶこととしましょう。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
うぐいすさん、こんばんは!
ショスタコーヴィチのDSCH音型、確かこの曲で初めてその音どおりに(調が異ならずに)用いたと聞いた記憶があります。交響曲では、この曲からDSCHの語法が完全に確立された感があるのですが、弦楽四重奏曲では第5番までしか進んでいないことに驚かされます。
さて、DSCHの交響曲となれば、もうムラヴィンスキーがあまりに別格という感があり、あえてここ数年はムラヴィンスキーを意識的に聞かないようにしています(爆)。演奏そのものは冷徹にして恐怖を煽るものの、音質がそれに伴わないギャップに不満があるのかもしれませんが…(爆)。
なお、世評高いカラヤン盤、華麗かつ浪漫的で閉口します。ソリスティックなオーケストラ技巧に徹していれば、聞き方も変わったでしょうけれども…。(うぐいすさんの挙げられているカラヤン盤は再録音の方でしょうか、私が聞いたのは旧盤と思います。)
私も明日は交響曲を聞こうと思います。
凛虞
URL
2008/08/09 23:42
うぐいすさま お早うございます。

私も昨日は、ショスタコーヴィチの15番のシンフォニーを聴きました。非常に久し振りですが〜。
10番のシンフォニーも、2枚ほど持っているかと思うのですが、まったく印象に残っていません、爆~。(真面目に聴いていないのかもしれません)。

ショスタコーヴィッチとソ連の政治との関係は、もう少し時が経ってみないと、その真相は分からないのかもしれませんね。チャイコフスキーの手紙などが今頃になって公開されてきていますから、ショスタコーヴィッチの手記のようなものも、いつか公開される日が来るのかもしれませんね。
それは、ムラヴィンスキーも同じで、あの体制の中で音楽をすることがどういうことであったのか、ムラヴィンスキーの言葉は公開されていないようにも思うのですが〜。

ミ(`w´彡)
rudolf2006
URL
2008/08/10 05:06
うぐいすさま
おはようございます。

私はショスタコーヴィチの交響曲が苦手で聞いたことのない曲もあるのですが、今のところは10番がいちばん聴きやすいように思います。
ムラヴィンスキーの76年盤とザンデルリング盤を持っていますが、後者も前者に劣らない出来だと思います。
アルトゥール
2008/08/10 09:56
凛虞さん、こんにちは!
コメントありがとうございます。

今までの凛虞さんのベートーヴェンやDSCHの四重奏の聴き方を拝見していると、ムラヴィンスキーを意識的に聴いていないというのはなんとなくわかる気がしますね。また例によってリファレンス盤なるものがあるんでしょうか?ちょっと興味がありますね。しかしあらためて時代を考えると、交響曲は10番でも、弦楽四重奏にして5番の時期なんですね〜。曲のジャンルの違いで作風が確立されるのにズレが生じるもんなんですねえ。

うぐいすの持っているカラヤン盤は再録音の方ですね。逆に旧録の方は聴いたことないんですが、新録の方聴いて入手する意欲が失せまして。凛虞さんのコメントでやはり、とか思ってしまいました(笑)。
うぐいす
2008/08/10 13:18
rudolf2006さん、こんにちは!
コメントありがとうございます。

うぐいすは15番も好きです。1楽章と4楽章を抜き出してよく聴きました。4楽章終わりのパーカッション群が好きなんですよ(って、ちょっとしつこいかな)

ショスタコーヴィチの思いとか考えとかって謎ばっかりなんですよね〜。例のヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」も真偽が怪しい話ばかりのようで。ムラヴィンスキーも、政治体制に対する発言は聞いたことがないですね。まあ、あの時代、口をつぐむことが生き延びる術でしたから仕方がないことですね。いずれ何かでその心情を聞くことのできる資料がみつかるといいですねえ。
うぐいす
2008/08/10 13:20
アルトゥールさん、こんにちは!
コメントありがとうございます。

うぐいすも、DSCHは弦楽四重奏と違って、交響曲は聴く曲に偏りがありますねえ。聴くのは5,7,10,15番くらいです(9番もたまに)。ザンデルリンクのDSCHは15番しか聴いたことないんですが、なんというか、曲自身に語らせるようなスケールの大きな演奏という記憶があります。いつか10番も買おうかな、と思ってそのままになってましたねえ。
うぐいす
2008/08/10 13:21

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
本日はショスタコーヴィチの命日です:交響曲第10番<PA-168> Cla_PA!(クラシックパーキングエリア)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる